楽観ロックで行こう

エンジニアのキャリアと組織のリアルを、時々読書と音楽を交えてつぶやいています

「スネハラ」って言われて、おじさん、思わず泣きそうになった話

最近、私は「○○ハラ」という言葉に、少し疲れているのかもしれません。

もちろん、セクハラやパワハラ、マタハラのような言葉に異論はありません。本来それらは、人の尊厳を守るために生まれた概念です。社会の中で弱い立場に置かれた人や、理不尽な扱いを受けた人を守るための言葉だったはずです。

ところが最近は、どうも様子が違う気がします。

スメハラ
ヌーハラ
そしてスネハラ。

東京都が夏の服装として男性の半ズボンを容認する、という話題を見たとき、「おじさんのすね毛なんて見たくない。スネハラだ」という文章をどこかで見かけました。

正直に言うと、それを見て私は少し不快感を抱きました。

そして同時に、「あれ、これって、おじさんに対するハラスメントじゃないか」と思ったのです。今回この文章を書こうと思ったのは、まさにこの瞬間でした。

いや、別に半ズボンを履いて街へ繰り出そうという話ではありません。おじさんのすね毛を積極的に鑑賞したいわけでもありません。ただ、「スネハラ」という言葉に、どうも引っかかったのです。

本来、「不快感」と「ハラスメント」は同義ではないと思います。法的な意味でのハラスメントは、人格や尊厳への侵害、差別、あるいは優越的な立場の濫用などを問題にしているはずです。ところが最近は、「私は不快だ」という感情そのものを、「ハラスメントだ」と呼ぶ風潮があるように見えます。

考えてみれば、日本語は外来語を妙な形で取り込む言語なのかもしれません。昔は吉永小百合さんの熱烈なファンを「サユリスト」と呼びました。英語の作法に近いのは、本来こちらです。ところがいつの間にか、アムラーやマヨラーが現れました。アムリストでもなく、マヨリストでもなく、アムラー、マヨラーです。正確さより語感が勝ったのでしょう。

別にそれが悪いと言うつもりはありません。ただ、「ハラスメント」も、少し似たようなことになっている気がしています。人格や尊厳の侵害を意味する、本来は重い言葉だったはずが、いつの間にか便利な接尾辞になってしまいました。

不快なら○○ハラ。
気に入らなければ○○ハラ。
見たくなければ○○ハラ。

そんな具合です。

その結果、私は最近、「おじさんに対するハラスメント」がちょっと横行している気がしています。おじさんはいまの世の中、社会の底辺のような扱いをされていて、何をしても不快だと言われている気がしてなりません。

そばをすすればヌーハラ。
ちょっと加齢臭がすればスメハラ。
電車で触れただけでセクハラ。
半ズボンを履けばスネハラ。
LINEを送ればおじさん構文。

そのうち、おじさんというだけでおじハラ、生きているだけでハラスメントと言われそうな勢いです(笑)。

もちろん、おじさんに言い分ばかりがあるわけではありません。若い頃の感覚のまま距離を詰めたり、頼まれてもいない説教を始めたり、自分の成功体験を延々と語ったりすれば、それは「老害」と呼ばれても仕方がないと思います。おじさんはおじさんで気をつけなければなりませんし、私自身も気をつけたいと思っています。

だが、それとこれとは、話が別なのではないでしょうか。誰かの行為を批判するのと、誰かの属性を不快物として扱うのとでは、かなり違います。「おじさんだから不快だ」という空気には、どうにも居心地の悪さを感じてしまいます。

ハラスメントという言葉は、人の尊厳を守るために広まりました。ところが今、その言葉がおじさんの尊厳を貶めるために使われている場面もあるように思えます。それはなかなか皮肉な話ではないでしょうか。

誰かの尊厳を守るための言葉が、別の誰かの尊厳を傷つけるために使われる。

もしそうだとすれば、私たちは少し立ち止まって考えた方がいいのかもしれません。

ハラスメントとは、本来誰のための言葉だったのか。そして、おじさんにも尊厳くらいはあっていいのではないか、と。

社員は全員稼働中。なのに『このままだとやばい』と思った話

私は現在、社員24名ほどのSES企業で働いています。

社員は全員プロジェクトに参画しており、稼働率だけ見れば非常に良好な状態です。会社としても赤字ではありません。

ところが、私は最近かなりはっきりとした危機感を抱くようになりました。

「このままだとやばい」
「このメンバーは成長できていないのではないか」
「そもそも会社の方向性が決まっていない」

数字だけ見れば問題はない。なのに、頭の中では警報が鳴っている。

そんな感覚です。

全員稼働しているのに、売上目標は未達

数年前、私の会社はホールディングス配下に入りました。

その結果、本社から売上予算が設定されるようになりましたが、現状はその目標に届いていません。

社員全員が現場で働いている以上、売上を増やす方法は限られています。

じゃあどうすれば予算に届くのか。社員は全員すでに現場で稼働している以上、答えはひとつしかありません。パートナー企業から人を連れてきて、当社の社員として現場に押し込む。身も蓋もない言い方ですが、これが現実です。

理想を言えば、いま入っている現場から自社社員を抜いて、そこにパートナーの何人かを配置し、抜けた社員を中心に別の現場へチームごと投入する——という形なのでしょう。そうすれば「人材を供給しているだけ」から一歩抜け出せるはずです。

でも、これがなかなかできません。

まず、今の現場から社員を抜くこと自体が難しい。そして本人にしてみれば、同じ現場が長くなるほど居心地が良くなっていて、正直あまり動きたくない、というのもあります。

結果として、

全員が稼働しているのに、会社としては人材を供給しているだけになっている

という状況が生まれます。

私は何をするために入社したのか

そもそも、私がこの会社に入社した理由は売上を作ることではありませんでした。

期待されていた役割は、現場で働く社員のメンタルサポートだったり、プロジェクトリーダーへのマネジメント支援だったり、チームビルディングの知見を共有することだったり。まあざっくり言えば「人を育てる・支える」領域ですね。

ところが現状を見ると、現場は比較的安定していて、大きなトラブルもなく、採用も積極的ではなく、新人育成の機会も少ない。

もちろん良い状態ではあるのですが、一方で私は

「今の会社で、自分は何を価値として提供できるのか」

を改めて考えるようになりました。

面談で見えた、本当の課題

そんな中、何人かの社員と面談する機会がありました。

現場への不満はほとんどありませんでした。人間関係も良好。仕事も順調。一見すると何も問題がありません。

しかし話を聞くうちに、私は別の部分に気づきました。

それは、

将来について考えている人が想像以上に少ない

ということです。

資格取得や学習など、自身の成長に投資している人は一部に限られていました。

また、市場価値を高めるための行動とか、キャリアの方向性とか、50代・60代になったときの働き方とか、リタイア後の生活設計とか——そういうテーマを意識している人も、正直そんなに多くありませんでした。

現場には満足している。でも人生全体の視点では、将来像が見えていない。

私はそこに危うさを感じました。

現場満足とキャリア自律は別の話

SES業界ではよくあることですが、

  • 現場が楽しい
  • 評価も悪くない
  • 収入も安定している

こうした状況が続くと、成長への危機感は薄れやすくなります。

もちろん今を楽しむことは大切です。

しかし、環境が変化したときに備えているかどうかは別の話です。

変化に対応する準備をしている人とそうでない人では、数年後に大きな差が生まれます。

しかも厄介なのは、本人が困っていないため課題として認識されにくいことです。

気づいたときには選択肢が少なくなっている。

そんなケースも珍しくありません。

だから社外1on1を提案している

現在私は、ホールディングス配下の他社社員向けに「社外1on1」を提供できないか検討しています。

目的は単なる相談対応ではありません。もう少し欲張って言うと——

  • キャリアを考える機会をつくる
  • 管理職を支援する
  • 将来への不安を言語化する
  • 個人と組織の成長を後押しする

そんな役割を担いたいと考えています。

SEという仕事は、現場に一人で常駐することも多く、どうしても悩みや不安を一人で抱え込みやすいものです。

上司でも同僚でもない、ちょうどよい距離感の人になんでも話せる。そういう存在がいるだけで、状況はだいぶ変わるのではないかと思っています。

早まった転職を防ぐことにもつながりますし、メンタル不調の予防にもなる。

社外1on1は、そういう「ちょうどいい距離感の相談相手」を作る取り組みだと考えています。

最後に、ちょっとひとりごと

今回の面談を通して、私が強く感じたことがあります。

それは、

「問題がないこと」と「将来が安心であること」は違う

ということです。

現場で元気に働いている社員を見ると安心します。

しかし、その状態が5年後、10年後も続くとは限りません。

だからこそ、目の前の業務だけでなく、その先の人生やキャリアにも目を向ける人が必要なのだと思います。

社外1on1の提案が実現するかどうかはまだ分かりません。

それでも、人が長く働き続けるために必要な支援とは何か。

その問いを考え続けることが、今の私の役割なのかもしれません。


ZERO ORIGINについて

ZERO ORIGINは、「自分らしく働く人を増やす」ことを目指し、キャリア支援と組織支援を行っています。
技術職としての現場経験と心理学の知見を活かし、キャリア、メンタルヘルス、組織づくりをテーマに、一人ひとりの声に耳を傾ける伴走型の支援を実践しています。

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【読了】老人と宇宙|75歳から始まる宇宙の戦場

75歳を超えてから緑色の新しい身体を手に入れ、宇宙の戦場で生きる。ジョン・スコルジーのSF小説 老人と宇宙 を読了しました。設定の斬新さはもちろん、軽快で皮肉の効いたユーモアに引き込まれる一冊でした。

読み終えて心に残った視点を整理しておきます。

夫婦の愛情と友情の重み

 作品の根底を流れる亡き妻への深い愛情や仲間との友情は、非常に印象的でした。個人の感情や絆を行動の原動力とする描写にはアメリカ文化らしさを感じる一方で、ここまでの純愛を見せつけられると、少し圧倒されるような気恥ずかしさも覚えます。

文化や死生観の違い

75歳を過ぎ、残り少ない人生の先が見えた段階で「死ぬまで兵士として生きる」ことを選ぶ。兵役が身近にない日本で暮らす私たちにとっては、この選択肢は文化的に少し理解しづらい感覚かもしれません。残りの人生と引き換えに新しい身体を得るという、どこか割り切った合理主義を感じさせます。しかも、65歳でエントリーするんですよ。やっぱやーめた、ってできるようですが、同じ境遇になった時、わたしはこの判断できるかなぁ…。75歳過ぎ、健康寿命に到達するくらいの年齢で、衰えた自分、後は死を待つばかり、であれば広大な宇宙に飛び出し、同胞の地球人のために戦おう。戦いで死んだって、このままの生活の行く先で死んだって、どうせ死ぬなら、みたいな理論。ありなのか?

キャリアコンサルタントとしての視点

人生100年時代と言われますが、75歳からのセカンドキャリアが宇宙での命がけの再就職になるとは、支援する側としても思いも寄らない引き出しです。人生の終盤にどのような目標や役割を持つかという問いは、現実のキャリア支援にも通じる深みがありました。この兵役では2年の期間がありますが、軍側の都合でさらに8年、合わせて10年になります。その後の生活はあまり語られませんでしたが、再度兵役に戻る人が多いとされていました。そこに自身の存在意義を見出したのか、それ以外の人生に意義が見いだせなかったのか、考えさせられるところです。

テクノロジーと人類の成長

作中に登場する技術も非常に刺激的です。肉体を支える ナノロボット の存在には夢がありますし、コンスー族のような圧倒的な文明を持つ外来の技術を参考にしながら、人類がブレイクスルーしていく過程にはSFならではのロマンが詰まっていました。でも、日本が黒船によって開国したように、外からの影響がないとブレイクスルーできないのかも知れませんね。そう考えると生命の起源説が「外からの隕石」というのも、あながち否定するものではないかも、なんてね。

若返りの夢と切ない代償

「知識や経験はそのままに、10代の身体に戻りたい」と一度は思い描いたことがないでしょうか。わたしはあります。人間的に余裕をもった男子がいたら、結構モテそうだと勝手に思っています。作中ではそれが叶うものの、手に入るのは自由な日常ではなく、極めて死亡率の高い兵士としての過酷な運命です。若さと引き換えに自由を得られない切なさが、物語に深い余韻を与えていました。

自己成長と言いながら、自分本位になりすぎてない?

自己成長と言いながら、自分本位になりすぎてない?

最近、「若手のモチベーションで一番多いのは自己成長」というデータをどこかで見かけました。
なるほどな、と思う一方で、ふと息子の顔が浮かんできました。

うちの息子は昔から、物事を「得か損か」「勝ちか負けか」で考える癖があります。
旅行のお土産を選ぶときも、相手が喜ぶ顔というより「これを渡せば自分への扱いが良くなるかも」という発想が先に来るみたいです。
人の意見を受け入れるのはなんだか負けを認めるみたいで嫌だ、自分は間違っていない、自分の役に立たない人とは無理に付き合わなくていい――そんなふうに思っているようです。

……こういうことをわりと真顔で言うので、正直、最初は戸惑いましたし、少し怖くもなりました。

「思いやりのある人になってほしい」なんて、子どもの頃から散々言ってきたつもりなんですけどね。
届いてなかったのかもしれません。まあ、子育てなんて答え合わせができないので、これはこれで永遠のモヤモヤとして抱えていくしかなさそうです。

もちろん、今の若い人がみんなこうだと言うつもりは全くありません。
ただ、「自己成長」という言葉を聞くと「いいことだよね」と思う反面、少し立ち止まって考えてしまう自分がいます。

「誰かのため」があった時代と、「自分のため」が主語になった今

私が社会人になった頃は、少なくとも建前としては「会社のため」「家族のため」という言葉がまだ生きていました。
会社に貢献して、出世して、収入を増やして、家族を養う。それが一つの幸せなモデルだったように思います。

もちろん、あの時代を美化するつもりはありません。
過剰な忠誠心とか、長時間労働とか、今思えば「それはさすがにどうなの」ということも山ほどありました。
それでも、そこには自分以外の誰かのために働く、という発想が確かにあったんですよね。

私自身、仕事というのは本来、誰かに貢献することなんじゃないかと思っています。
その貢献に対する対価として、お金や評価があとからついてくる。順番としては、貢献が先で、報酬はあと。
たぶん私はそう信じたい人間なんだと思います。

一方で今は、「自己成長」「自己実現」「市場価値」という言葉が主役になっています。
会社は「あなたの成長を支援します」と言い、社員は「成長できる環境かどうか」で会社を選ぶ。

これ自体は、別に悪いことではないと思うんです。
会社が一生面倒を見てくれる時代でもないですし、自分を成長させる意識は大事です。
私自身、資格を取ったり学び直したりするのが結構好きなタイプなので、そこは否定できません。

ただ、時々不思議に思うことがあります。
自己成長って、本来は自分自身の意志でするものじゃなかったっけ、と。

仕事を通して、あるいはその環境の中で、自分が成長できるかどうかを見ている。そして「ここでは成長できない」と感じたら転職する。
その姿は、自立しているようでいて、成長できるかどうかを環境に委ねている部分もあるような気がしてしまうんです。
突き詰めると、「この環境は自分にとって得か損か」を見ているという点で、これもまた自分が主語の発想なのかもしれません。

企業の側も、「社員の成長を応援します」と言いながら、その社員がより良い条件でよそに移ることも、自然な選択として受け入れています。
そこにあるのは、以前のような帰属意識というより、お互いに程よい距離感を保つ関係に近いのかもしれません。

感謝はする。仲間のことも好き。
でも、自分の成長が優先される。

それはそれで、すごく合理的な判断だと思います。
ただ、その合理性の先に何が残るんだろう、とも思ってしまうんですよね。

「なんで家族を大事にするの?」と聞かれて、答えられなかった

そんなことを考えるきっかけになったのは、やっぱり息子との会話でした。

あるとき息子が、「親が子どもの面倒を見るのって、法律で義務だからでしょ」と言ったんです。
「法律がなかったら、捨てる親だっているはずだ」と。

私は「どんな子どもでも、自分の子どもは大切だよ」と伝えました。

でも、息子は納得しませんでした。

「なんで?」

「家族だから」

「家族でも変なやつなら捨てるでしょ?」

彼は本当に分からない様子でした。

ちなみに、私が働けなくなったら真っ先に見捨てられるらしいです。
そこは義務教育レベルで即答でした。
そのとき私が感じたのは、反論したい気持ちより、正直、ちょっとした衝撃の方が大きかったです。

親が子どもを大切に思うこと。家族を気にかけること。相手の喜ぶ顔が見たいと思うこと。
私にとってそれは、説明するようなことではなく、当たり前にそこにあるものでした。

でも息子にとっては、「自分にとってどんな利益があるのか」がまず先に来るようです。
思いやりのようなものも、損得で説明できてしまうものなのかもしれません。

もちろん、息子の考え方をそのまま今の社会の縮図だと言うつもりはありません。
一人のサンプルで語るには乱暴すぎますし。

ただ、自分を大切にすること、自分の成長を重視することが肯定される時代の中で、「誰かのため」という感覚が、以前より少しやせ細っているような気は、正直しています。

答えは出ていないけど、考え続けたいこと

自己成長という言葉を聞くたびに、私は考えてしまいます。

自己成長は、素晴らしいことです。
自分を大切にすることも、大切なことです。
でも、自分を大切にすることと、誰かを大切にすることって、本来は対立するものじゃないはずなんですよね。

自己成長の先に何があるんだろう。
市場価値でしょうか。転職でしょうか。それとも、誰かへの貢献でしょうか。

一つだけ、私の中ではっきりしていることがあります。
仕事というのは、誰かに貢献することが先にあって、報酬はそのあとからついてくるものだと思うんです。
自己成長も、たぶん同じ順番なんじゃないでしょうか。
誰かの役に立とうとする中で、結果として自分も成長している。それが本来の形で、成長そのものを目的にしてしまうと、どこかで順番がひっくり返ってしまう気がします。

もちろん、これは私の中の一つの信念にすぎません。
それが息子への答えになるのかどうかは、正直分かりません。

「なぜ親が子どもを大切に思うのか分からない」という息子の言葉に対する答えを、私はまだ見つけられていません。
たぶん、この先も見つからないかもしれません。

ただ一つ、考え続けていることがあります。

自分が主語になることが当たり前になった時代に、思いやりはどこから生まれるのだろうか。

それを私は、息子とのすれ違いの中で、今も考え続けています。


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71歳のわたしへ | 同窓会の訃報リストが教えてくれたこと

71歳のわたしへ

これを書いているのは、2026年の夏です。あなたにとっては、もう10年も前の話になりますね。

正直に言うと、今のわたしは、あなたがどうなっているのか、あまり自信がありません。65歳で会社員を退くつもりでいるけれど、妻からは「死ぬまで働け」と言われていて、実際どうなっているんでしょうか。個人事業主として、キャリアコンサルタントの仕事を、請われればする…そのくらいのペースで、無理なくやれていたらいいなと思っています。

先週、田舎で高校の同窓会があったそうです。わたしは行けなかったのですが、写真と一緒に送られてきたのは、名前と顔がすぐには結びつかないおじいちゃん、おばあちゃんたちの姿と、もうひとつ・・・亡くなった同級生のリストでした。

正直、これがこたえました。卒業してから一度も連絡を取っていない相手でも、「もうこの世にいない」と知ると、じわっと切なくなるものですね。同い年の誰かが先に旅立ったと知ると、いま自分がこうして元気でいられることが、当たり前じゃないんだと気づかされます。

健康のこと、母のこと、息子のこと、世の中のこと、年金のこと・・・数えあげればきりがない不安が、次々と頭に浮かんできました。この10年の間に、きっと大切な人を見送ることもあるでしょう。

でも、途中で気づいたんです。10年後のことをあれこれ心配したところで、今日のわたしが動かなければ、何も変わらないということに。同窓会の名簿がくれたのは、「不安になる理由」じゃなくて、「今日を大事にしろ」というメッセージだったんだと思います。

正直に言うと、今のわたしは、やりたいことをやれずにいる理由を、妻のせいにしているところがあります。「妻が抑制するから」と。でも、それだけではどうにもならないことばかりを言い訳にして、自分が動かないでいるだけなのかもしれません。

個人事業主を始めたとき、頭にあったのは、長年SE・技術者として現場を歩いてきた自分自身の経験でした。納期のプレッシャー、評価の曖昧さ、SESという立場ゆえの帰属意識の薄さ。そういうものは、実際にそこを歩いた人間にしか、本当のところは分からないと思っています。だからこそ、現場を知らない支援者ではなく、同じプレッシャーを味わってきた人間として、若手技術者に寄り添いたい。それが、個人事業主を立ち上げた理由でした。

だから、71歳のあなたに未来がどうなっているかを聞くのはやめておきます。かわりに、今日のわたしが決めたことを書いておきます。

  • やりたいことを、妻のせいにして諦めない
  • 同じプレッシャーを味わった人間として若手に寄り添うという理念を、日々の小さな行動で裏切らない
  • 「そのうち」と先延ばしにせず、今日できる一歩を選ぶ

71歳のあなたに問いたいのは、ただひとつです。

この3つを、この10年、ちゃんと積み重ねてこられましたか。

大きな成功じゃなくていい。振り返ったときに、「あの日決めたことを、まあまあ守ってきたな」と思えたら、それで十分だと思っています。

同い年の誰かが先に旅立ったと知って、今こうして生きていることが当たり前じゃないと気づかされた夏でした。だからこそ、今日を大事にします。

2026年夏 61歳の私より

【読了】『ぼぎわんが、来る』ホラー嫌いが一気読みした理由は、化け物より人間だった

澤村伊智『ぼぎわんが、来る』を読み終えた。

私は普段、いろいろな本を雑多に読んでいる。ホラーだけは昔から苦手で、周囲にも「絶対に無理だ」と公言してきた。

そんな私がこの本を手に取ったきっかけは、実にささやかなものだった。たまたま『十二国記』を読んでいる話を知人にしたところ、「それなら」と勧められたのがこの一冊である。比嘉姉妹が魅力的だから、映画『来る』を先に観てから読んだらよかった、と力説されたのだ。ホラーは苦手だと繰り返し伝えたのだが、それでも押し切られる形で、半信半疑のままページを開くことになった。

苦手だと言いながら読み始めたのに、気がつけば引き込まれ、あっという間に読み切ってしまった。

実は、ページを開く前にひとつだけ対策を講じていた。「作中に登場する化け物の描写を、脳内で絶対に映像化・イメージしない」というスルー作戦である。物語は「ぼぎわん」と呼ばれる正体不明の怪異が、ある家族に襲いかかるホラー小説だ。もし頭の中で化け物をリアルに再現してしまえば、夢に出てきてしまう。

この徹底した防御策のおかげで無事に読み進めることができ、気づけば手が止まらず一気読みしてしまった。なぜなら、本当に恐ろしかったのは化け物の姿ではなく、全く別のところにあったからだ。


私がもっとも胸をえぐられたのは、夫婦関係の生々しいズレだった。

第一章で描かれる夫の秀樹は、一見すると「家族思いで子育てに熱心な理想のイクメン」である。しかし視点が変わると、彼が「子育てに協力的な自分」に酔っているだけで、つらい部分はすべて妻に押し付け、妻の苦労を何ひとつ理解していないことが露わになる。

特に出産の際、妻が苦しみ抜いた末に見せた安堵の笑顔を見て、夫が「楽だったんだね」と能天気に受け取る場面がある。人の気も知らない無神経さにゾッとすると同時に、私自身もかつて「自分にも少なからずそういう部分があったかもしれない」と思い返し、実に身につまされる思いがした。

この物語には、真琴や野崎のように、子を望んでも授かれない身体を抱えた人物も登場する。その存在があるからこそ、秀樹のような「子を持てたのに、その重みを何ひとつ理解していない父親」の鼻につく育児自慢が、より一層痛烈に響いてくる。自称イクメンが誇らしげに語る「協力的な自分」の裏で、妻の身体的な苦労も、子を持てない誰かの痛みも、まるで視界に入っていない。

この落差こそが、作中でもっとも静かに恐ろしい部分だったように思う。

この作品は、過去の口減らしや家庭内の暴力といった人間の闇や罪深さが怪異を引き寄せている。

化け物よりも、人間の中に潜む無自覚なエゴや歪みのほうが、よほど背筋を凍らせるのである。


もちろん、人間ドラマとしても非常に読み応えがある。

巻き込まれた後輩の高梨が無情にも命を落としてしまう理不尽さ、裏で糸を引いていた唐草がお咎めなしで逃げ切るような後味の悪さもまた、リアルな恐怖を引き立てる。

そして、期待の霊媒師である比嘉姉妹。姉の琴子がなかなか登場せず、いざ来てもギリギリの攻防が続くので、スティーブン・セガール映画のような圧倒的な無双で一掃する爽快感を期待していた私は、「もっと早く来て圧倒してくれ」と心の中で叫んでしまった。


『ぼぎわんが、来る』は、単に恐怖で脅かすだけの本ではない。「人間関係の表と裏」や「人間の心理の暗部」を見事に浮き彫りにした、極上の心理サスペンスでもある。

私のように「ホラーは苦手だ」と敬遠している方にこそ、脳内イメージを遮断しつつ、ぜひ挑んでいただきたい一冊だ。

Gemini Notebook×生成AIで、資格学習がここまで変わった話

 わたしも個人的にGemini NotebookNotebookLMを活用しているので、今回はその活用事例を紹介してみようと思います(名前が変わりましたね…)。

Gemini NotebookNotebookLMとは

そもそもGemini Notebookは、自分が読み込ませた資料(PDFやウェブなど)だけを根拠に、要約や質問への回答をしてくれる、Googleの自分専用AIアシスタントです。

主な特徴は、こんなところだと思います。

  • 指定した資料だけを使う:関係のない情報を勝手に持ってこないため、ウソの回答が少ない
  • 根拠がわかる:回答に元の資料の場所(引用元)が表示される
  • マルチに対応:PDFや音声、YouTubeなどのリンクを読み込める

実際の使い方:資格学習用のノートブックを作ってみる

ビジネス実務法務検定という試験を受けようと思っているので(単なる趣味です)、それ用のノートブックを作成してみました。

法令リード(https://hourei.net/) というページで関連法律を印刷してPDFで出力し、それをソースとして登録しています。
それ以外に「1週間で受かる!ビジネス実務法務検定」や「ビジネス実務法務検定試験2級公式テキスト2026年度版について」といったホームページのリンクも追加しました。

わからないことは、そのままチャットで聞いてみる

学習している中で、ん?となったり、いや何言ってるかわからないんだけど、ということをそのまま投げかけています。

  • 抵当権を執行するときは、必ず裁判所を通すの?
  • 解除権ってなんだったっけ
  • 問屋というのは、単なる仲卸人とは違うのか?

こんな感じで、普通に話しかけるように聞いています。
それで詳しく教えてくれるのですが、それでも腑に落ちないときはさらに掘り下げて質問したり、さっきこう言っていたけど変わってない?と聞き返したりして、自分が納得できるまでやり取りをするようにしています。

Studio機能で、学習コンテンツを増やす

Gemini NotebookにはStudioという機能もあります。

音声解説をさせると、Podcastのような会話を作成してくれるのですが、これがなかなかの完成度です。話し始める前の息を吸う音まで入っていて、自然すぎて少し怖いくらいでした。

もちろんスライド資料も作ってくれますし、インフォグラフィックという機能を使えば、たとえば「解除権についてまとめた解説画像を作って」とお願いするだけで、画像を生成してくれます。

動画解説も作れます。スライドに音声解説をつけたものを作ってくれることもあります。

他にもクイズという機能があり、難易度レベルを三段階で指定して、画面上でクイズ形式で学習することもできます。ここでもプロンプトを工夫していて、「今までのチャットのやり取りの中から、わたしが勘違いしやすい領域を中心に、30問、○×形式で作成してください」といった頼み方をしています。

いろんなことができるので、自分の学習スタイルに合わせて活用できるものなのかもしれません。

出先での学習環境:iPad miniとSwift Playground

わたしはiPad miniをよく使っています。
学習アプリをダウンロードして使うこともできますが、なかなかこのテーマのものがなかったり、あっても有料だったりします。無課金派のわたしとしては、アプリ課金は少し信念に反します。

そこで、Geminiに「iPad mini用のアプリケーションって作れる?」と相談してみたところ、Swift Playgroundというアプリを教えてくれました。もちろん無料です。

そこで、こんな依頼をしてみました。

  • 生成AIで別途作成したCSVファイルを読み込んで出題する
  • 間違えた問題にはチェックフラグを立てて、それだけ絞り込んで出題できるようにする
  • 正解した問題は、再出題されにくくする

やりたいことを伝えて生成されたソースをSwift Playgroundにコピペして実行し、気に入らなければ「あーしてこーして」と伝えてまたソースを作ってもらう、というやり取りを繰り返しました。

こうしてできたiPadアプリのおかげで、出先でWi-Fiがなくても、CBT形式のような感覚で勉強ができています。

ソースは一行も書いていません。問題も全部AIに作ってもらっています。

生成AIを単なる話し相手でとどめておくのは、ちょっともったいないのではないでしょうか。

今回はわたしが活用している中の一事例を紹介しましたが、みなさんの活用事例もぜひ教えていただけたら嬉しいです。

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